KICK THE CAN CREW

簡介: 小檔案
LITTLE(リトル、 - ) - MC擔當。大中小の小。
MCU(エムシーユー、 - ) - MC擔當。大中小の中。
KREVA(クレバ、 - ) - MC兼トラックメイカー擔當。大中小の大。
の3人。尚、
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小檔案
LITTLE(リトル、1976年5月7日 - ) - MC擔當。大中小の小。
MCU(エムシーユー、1973年8月1日 - ) - MC擔當。大中小の中。
KREVA(クレバ、1976年6月18日 - ) - MC兼トラックメイカー擔當。大中小の大。
の3人。尚、
DJ SHUHO(ディージェイ?シューホー、1976年10月8日 - ) - DJ擔當。
実質、正式メンバー扱いであるが、「遅刻をよくする」との理由から正式メンバーでは無い。
大事件
BY PHAR THE DOPESTのKREVA、RADICAL FREAKSのMCU、DJ SHUHOとソロ活動をしていたLITTLEと、それぞれバラバラに活動していた三人が、初めて共演した曲「カンケリ」(コンピレーション『THE BEST OF JAPANESE HIPHOP vol.7』に収録)をきっかけに意気投合。ユニット名はその曲名からKICK THE CAN CREW(=缶蹴る奴ら)と名づけられた。ちなみに、もともとはKREVAとLITTLEが二人で楽曲を制作する予定だったらしいが、當時は二人の聲質が少し似ていたため、童子-Tの紹介でMCUが加わったという。その後もインディーズでリリースを重ね、著々と評価を上げていった。
當時から個々の活動も行っており、KREVAはBY PHAR THE DOPESTとしての活動の他にソロMCとしてB-boy ParkのMC battleに於いて3連覇(1999~2001)を達成するという偉業(yè)を成し遂げ、第一級のフリースタイラーとして認められた。KREVAのように著実に韻を踏むスタイルを『クレバスタイル』と呼び、大會で多くのフォロワーが現(xiàn)れるなど、多大な影響力を見せていた。
MCUはRADICAL FREAKSの他にアルファらと共に東京U家族で活動(後にMCUが結婚したと同時に解散)。
LITTLEは三人の內でも早くからソロアルバムをリリースしていた。
2001年5月23日、シングル「スーパーオリジナル」でメジャーデビュー。その後、11月7日に山下達郎の名曲「クリスマス?イブ」をカヴァーした「クリスマス?イブRap」、2002年1月23日に「マルシェ」をリリースし話題を集め、その年の紅白歌合戦に初出場。紅白ではKREVAの咄嗟の機転で「NHKへようこそ」と歌った。
『FG NIGHT』や『DYNAMITE』などレギュラーイベントを多く抱え、シーンとの繋がりを持たせていたため、結果的に売れたRIP SLYMEと比べるとセルアウトのイメージを和らげることになった。しかし2002年10月、ヒップホップグループのキングギドラがリリースしたアルバム『最終兵器』內の楽曲「公開処刑 feat. BOY-KEN」でK DUB SHINEに批判 (DIS)された(後の2004年8月、「blast」誌上のK DUB SHINEのインタビューでもう批判はしない、といった意の発言をしている)。
2003年には、8月6日の「性コンティニュー」から、2004年1月1日のアルバム『GOOD MUSIC』まで、シングル5枚?ベストアルバム1枚?アルバム1枚の計7枚連続リリースを行った。また、この年には臺灣親善大使に任命されての臺灣ライヴ敢行や、ヒップホップ界世界最高峰の賞「The Source Awards」に日本人初のノミネートと海外にも実力を見せ付けた。
2004年3月に活動休止を発表する。そして、6月20日の「KICK THE CAN CREW LIVE 旅人~STEP IN THE DAY~」をもって活動を一旦休止し、現(xiàn)在はそれぞれでソロ活動を展開中。
2008年5月7日、LITTLEの自らの誕生日とデビュー10周年記念を兼ねたライブの際にサプライズでKREVAとMCUが花束を持って登場し、活動休止以來となるステージ上での3ショットが実現(xiàn)。8月3日には、茨城県の國営ひたち海浜公園で開催された野外イベント「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008」でKREVAが「世界で俺だけが呼べるスペシャルゲスト、KICK THE CAN CREW!」とLITTLEとMCUを呼び、4年振りに「イツナロウバ」「アンバランス」の2曲を披露した。