ANTHEM

簡(jiǎn)介: 小檔案
第一期(1982年~1983年)
前田“トニー”敏仁:ボーカル
小柳彰史:ギター
柴田直人:ベース、作詞、作曲
大內(nèi)“MAD”貴雅:ドラム
第二期(1984 更多>

小檔案
第一期(1982年~1983年)
前田“トニー”敏仁:ボーカル
小柳彰史:ギター
柴田直人:ベース、作詞、作曲
大內(nèi)“MAD”貴雅:ドラム
第二期(1984年)
前田“トニー”敏仁:ボーカル
福田洋也:ギター、作曲
柴田直人:ベース、作詞、作曲
大內(nèi)“MAD”貴雅、ドラム
第三期(1985年~1987年)
坂本英三:ボーカル、作詞
福田洋也:ギター、作曲
柴田直人:ベース、作詞、作曲
大內(nèi)“MAD”貴雅、ドラム
第四期(1988年~1990年)
森川之雄:ボーカル
福田洋也:ギター、作曲
柴田直人:ベース、作詞、作曲
大內(nèi)“MAD”貴雅、ドラム
第五期(1990年)
森川之雄:ボーカル
中間英明:ギター、作曲
柴田直人:ベース、作詞、作曲
大內(nèi)“MAD”貴雅、ドラム
第六期(1991年~1992年)
森川之雄:ボーカル
清水昭男:ギター
柴田直人:ベース、作詞、作曲
大內(nèi)“MAD”貴雅、ドラム
第七期(2000年)
グラハム?ボネット:ボーカル
清水昭男:ギター
柴田直人:ベース、作詞、作曲
大內(nèi)“MAD”貴雅、ドラム
第八期(2001年~)
坂本英三:ボーカル、作詞
清水昭男:ギター、作曲
柴田直人:ベース、作詞、作曲
本間大嗣:ドラム
小簡(jiǎn)介
元ブラック?ホールのベーシスト、柴田直人を中心に1981年に結(jié)成された。結(jié)成當(dāng)時(shí)のメンバーは柴田、前田“トニー”敏仁(Vo)、小柳彰史(G)、當(dāng)時(shí)18歳の大內(nèi)“MAD”貴雅(Dr)の4人。結(jié)成當(dāng)時(shí)のステージネームは柴田“マグナム”直人、前田“アンヴィル”敏仁、小柳“レイヴン”彰史、大內(nèi)“ヴェノム”貴雅であり、主に渋谷のライブハウス「屋根裏」等で活動(dòng)していた。
その後「もっと強(qiáng)力なギタリストが欲しい」と考えたバンドは小柳を解雇。
1983年、元アンサーの福田洋也(g)を迎える。同年、“関西ヘヴィ?メタル毆りこみギグ”に參加。このライブがきっかけで44マグナムやマリノのサポートを務(wù)めた。
1984年にはオムニバス?アルバム『HEAVY METAL FORCE』にSABBRABELLS、ヴェイルらと參加。バンドは「Warning Action!」を提供(現(xiàn)在この音源は「OFFICIAL BOOTLEG」に収録されている)。 レコード?デビューの話が舞い込みEARTHSHAKERの石原慎一郎をアドバイザーに迎え、メジャーデビューに向けてデモテープを作成し始めたが(こちらも「OFFICIAL BOOTLEG」に収録されている)、ヴォーカルの前田がツアーの疲労と音楽性の食い違いにより脫退。
ヴォーカル脫退により活動(dòng)を半年近く休止。
1985年、オーディションの結(jié)果、元レゾナンスの坂本英三(Vo)が加入。
Anthem were one of the first major Japanese heavy metal bands. Emerging in the wake of scene leaders Loudness in the early '80s, the group quickly parlayed great success in their homeland into a slew of international releases. But these found little traction with Western fans, and Anthem were eventually forced into a hasty retreat into a semi-obscure afterlife within Japan's borders.It was thanks to the pioneering efforts of Loudness and Bow Wow in the late '70s that Japan truly discovered heavy metal, resulting in a flurry of activity at the start of the next decade, with dozens of new bands vying for attention. Formed in 1981 by bassist Naoto Shibata, Tokyo's Anthem slowly built a local following despite dealing with the kind of nonstop musician turnover typical of most young bands. Come 1985's eponymous debut album, Anthem were performing classic heavy metal as viewed through their distinctly Asian vantage point, and also featured vocalist Eizo Sakamoto, guitarist Hiroya Fukuda, and drummer Takamasa Ohuchi. This lineup would come to epitomize the band's so-called "glory years," which also produced 1985's Ready to Ride EP and a series of competent if unspectacular albums in Tightrope (1986), Bound to Break (1987), and the live The Show Carries On (1987).
Anthem's deepening career standstill finally got to singer Eizo Sakamoto, who fell out with his bandmates and was replaced by Yukio Morikawa for a string of LPs, namely 1988's Gypsy Ways, 1989's Hunting Time, and 1990's Best collection and No Smoke Without Fire (this last featuring new guitarist Hideaki Nakama). A short time later, fed up at last with ever-diminishing returns, the rest of the band packed it in with a flurry of 1992 releases, including a second greatest-hits set, another live album, and a final studio album in the strangely named Domestic Booty. Bassist Shibata showed up on a few Loudness albums in the late '90s, but when Japan's elder statesmen of metal decided to reconvene their classic lineup, he once again turned his attentions to Anthem, relaunching his old band eight years after their demise.
Surprisingly, Shimizu, Shibata, and drummer Takamasa Ohuchi were joined by legendary Rainbow, MSG, and Alcatrazz vocalist Graham Bonnet for 2000's Heavy Metal Anthem rebirth. Typical of his short tenure with most of his previous bands, Bonnet was soon ejected to make way for the unlikely return of original vocalist Eizo Sakamoto, and with new drummer Hiro Homma also joining, this resulted in two further studio releases in 2001's Seven Hills and 2002's Overload.
大事件
1985年、キング?レコードより「ANTHEM~パワーメタル戒厳令」でメジャーデビュー。
1986年4月、2ndアルバム「TIGHTROPE」をリリース。同年11月2日、學(xué)園祭でのライヴにて主催した學(xué)生のミスにより數(shù)十人の學(xué)生が酸欠で倒れる事故が起こった。
1987年3月、3rdアルバム「BOUND TO BREAK」をリリース。同年6月には海外公演も行い、その海外公演を収めたライヴアルバム「THE SHOW CARRIES ON!」を10月にリリース。その後、坂本英三がバンドへの責(zé)任感からくるプレッシャーとツアーによる疲労、プライベートでは子供ができた為に音楽で生活するには不安という理由から脫退。代替メンバーとして森川之雄が加入した。
1988年5月、森川加入後の第一作として4thアルバム「GYPSY WAYS」をリリース。
1989年5月、5thアルバム「HUNTING TIME」をリリース。この頃からリーダー柴田と福田洋也との間に軋轢が発生。
1990年2月、次回作のアルバムのレコーディング終了後、浜松でのライヴを最後に福田が脫退。「即戦力となるギタリストが必要」と判斷したバンドは3月には元ハリー?スキュアリーのギタリスト中間英明を加入させ、6thアルバム「NO SMOKE WITHOUT FIRE」をリリース。4月には韓國(guó)公演を行った。
1991年初頭、中間がバイク事故を起こしたため活動(dòng)停止。海外へのアプローチをするという約束で加入させた中間が、バンドの活動(dòng)領(lǐng)域が日本に留まっていることに耐えかね、脫退を申し入れた。
同年8月、森川の知り合いを通じてオーディションに參加した當(dāng)時(shí)20歳の清水昭男が加入。數(shù)ヶ月後、レコーディングの為に渡英。
1992年3月、7thアルバム「DOMESTIC BOOTY」をリリース。同年5月、森川の脫退により解散を表明。同年7月の日清パワーステーションのライヴを最後に解散。
1999年、グラハム?ボネットをゲストに迎え入れる。
2000年、アンセムの楽曲を全英語(yǔ)詞で再録したアルバム「HEAVY METAL ANTHEM」を発表。
2001年、柴田が、坂本英三、清水昭男、ラウドネス時(shí)代の盟友?本間大嗣を迎え入れ再結(jié)成。
2001年8月、ビクターより再結(jié)成第一弾「SEVEN HILLS」を発表。同年秋、ツアーを開(kāi)始。
2002年10月には「OVERLOAD」をリリース。
2003年1月、ツアーを開(kāi)始。同年5月にはこのツアーを収めたライブアルバム「LIVE MELT DOWN」を、同年8月にはクラブチッタ川崎公演を収めたDVD「LIVE MELT DOWN THE SHOW STILL CARRIES ON」をリリースするとともに「夏の陣」と題したツアーを開(kāi)始。元々は坂本の2003年の冬のツアーでの発案による夏のツアーだったが、以後アンセムの夏のツアーは恒例となっている。
2004年7月、「ETERNAL WARRIOR」をリリース。
2005年、本間が膝の手術(shù)をするアクシデントもあったが、7月にはデビュー20周年を機(jī)に歴代メンバーを集結(jié)させてライヴツアーを行った。同年11月には20周年ツアーを収めたDVD「ANTHEM 20th Anniversary Tour 2005」をリリース。
2006年7月、アルバムリリース前にショートツアーを?qū)g施。その後8月に「IMMORTAL」をリリース。同年11月にツアー開(kāi)始。
2007年7月、ベストアルバム「CORE~BEST OF ANTHEM」をリリースするとともにツアーを開(kāi)始。9月にはかつての事務(wù)所の後輩であったOutrageのデビュー20周年ライブの前座に『ANTHEM 88』[3]として參加。同年10月、「LOUD PARK07」に出演。同年11月~12月、ツアーを開(kāi)始。
CLUB CITTA'を聖地としており、ツアーを行う際に最終公演は毎回神奈川公演としてCLUB CITTA'で行っている。

猜你喜歡

最新歌手